ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

この定義を出されたら、『学び合い』は宗教だ〜『ホモデウス(上)』〜

 


昨日には戻れない!

ケンシです!

 

 

 

今日は

 

 

 

この定義を出されたら、『学び合い』は宗教だ〜『ホモデウス(上)』〜

 

 

 

について書きたいと思います。

 

 

 

以前、「なぜ『学び合い』は宗教と言われるのか」

https://kenshimanabiai.hatenablog.com/entry/2019/03/15/230853

 

 

 

でも書かせていただいたのですが、あまり

 

 

 

宗教じゃね?

 

 

 

という言葉を使うべきでないと考えています。

 

 

 

が、

 

 

 

ホモ・デウス(上)  テクノロジーとサピエンスの未来  河出書房新社  2018

 

 

 

 

 

 

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を読んでいて、

 

 

 

ああ、この定義を出されたら『学び合い』は宗教だ

 

 

 

と感じてしまったので書きます。

 

 

 

本書によると、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教は神ではなく人間が創り出したもので、神の存在ではなく社会的な機能によって定義される。人間の法や規範や価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語なら、そのどれもが宗教だ223

 


宗教の物語に含まれる三つの要素

→倫理的な判断234

→事実に関する言明234

→実際的な指針234

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とのことです。

 

 

 

超人間的、の定義が難しいですが、

 

 

 

正当性を与える網羅的な物語

 

 

 

が宗教だとすれば『学び合い』は宗教ですね。

 

 

 

学びの共同体もアクティブラーニングも宗教になりますが。

 

 

 

本書によると、

 

 

 

人間は死を克服するフェーズにきてるそうです。

 

 

 

死を克服する

 

 

 

ということに正当性を与えるために

 

 

 

もしくは、正当性を奪うために

 

 

 

宗教が機能するかもしれません。

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