ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

『幸せのための教育』vs『主権者教育論』

 

コンゴ民主共和国
ケンシです!


今日は


『幸せのための教育』vs『主権者教育論』


について書きたいと思います。


ケンシは、


https://kenshimanabiai.hatenablog.com/entry/2019/02/23/150031


https://kenshimanabiai.hatenablog.com/entry/2019/02/24/173233


の記事でも書かせていただいたとおり、


社会科は考える力を育てる、主権者を育てる教科だ


と大学での学びを経て考えていました。


『幸せのための教育』


しかし、『学び合い』に出会ってこの考えを問い直す機会にめぐまれました。

 

 

 

  • 考える力や主権者が本当に必要?
  • 考える力をもったり、主権者になるより、考える力がある人、主権者とつながる力のほうが大切じゃないの?
  • 考える力、主権者になることより「一生の幸せ」(つながり、一人も見捨てないコミュニティ)が大事じゃないの?
  • そもそも考える力や主権者に育てるためのエビデンスはあるの?

 

 

といった問いです。
ケンシ個人にとっては、とても揺さぶられる問いですが、見る人から見たら


道徳かよ
態度形成かよ
洗脳、共感理解かよ


と思うかもしれません。
そこで、ケンシなりに『学び合い』という考え方
(一人も見捨てないという願いを大切にする考え。大体の授業で語り、生徒の活動、フィードバックという流れで行われる。実証研究多数)


を教育哲学の潮流に位置づけてみました。


そこで浮かんだのが


『幸せのための教育学』ネルノディングズ
https://amzn.to/3kVlwWa


の議論です。


原本が手元になく、メモも紛失してしまって正しい引用ができず心苦しいのですが、この本では

 


教育は幸せのためにあるべきだよ
幸せって、主観的幸福と相対的幸福があるよね
主観的幸福は人それぞれだけど相対的幸福はある程度定義づけられるよね
自然に親しむとか色々あるけど、つながりって大事よね

 

 

という議論が展開されています。

 

 

『主権者教育論』

 

 


こうしたネルノディングズの議論、『学び合い』の考え方がパワフルだな〜と思うとともに、


でもやっぱり主権者にならないと大事な何かを失ってしまうかもしれないなとも思います。


例えば


突然、大好きだった公園が老人ホームに建て替えられるという議案が市議会であがったとき。
月10000円〜15000円もらえる児童手当をなくすと国会で議論が始まったとき。
ただでさえ充実していない奨学金制度が改悪されそうなとき。

 

 


こうした場面に直面したときに、

 

 

 

  • なぜこうした議論がでてくるのか
  • どんな解決策があるのか
  • その課題はなにか
  • 誰に、どう働きかけたらいいのか

 

 


と考え、行動する必要があるかもしれません。


こうした議論の土台、教育の土台になるのが


『主権者教育論 学校カリキュラム・学力・教師』 渡部竜也 (春風社 2019)


f:id:kenshimanabiai:20210908190326j:image

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です。


本書は、

 

 

主権者教育をテーマにした書籍はこれまでもたくさん出版されてきた。だがそれはハンナアーレントだとかユルゲンハーバーマスといった社会思想家や政治学者の言説を取り扱った高尚だが、少なくとも教師には知的興奮を与えることが出来てもそれ以上の具体的な何かをほとんどもたらすことのない教育哲学系の書籍か、さもなくばこうすれば生徒は明日から主権者になると言ったやや眉唾の授業事例集(もっとも筆者はこうした授業事例集の方が思弁的な議論をして満足するよりずっとましだと考えている)ばかり取り上げた、いわゆるハウツー本 5

主権者教育を本当に展開するためには避けて通れない問題である、学校カリキュラム・学力・研究・教師・評価の五つの問題を真正面から取り上げたり改善案を提案したりするものではなかった 5
本書は違う。少なくとも本書は右記五つの問題のうち四つの問題(学校カリキュラム・学力・研究・教師)に真正面から取り組んだ内容となっている6

 

 

と論じているように


これでもか!


というくらい主権者教育について論じられています。


本書でいう主権者

 

 

投票日に選挙に行く市民のことではない。公的な問題について目を背けることのない市民、強者の語りの陰に消された弱者の存在に配慮できる市民、専門家の意見に耳を傾けるが決してそれを盲目的に受け入れるのではなく自らの五感でそれを確か最終判断を下せる市民、誤りがあれば素直に受け入れて反省できる市民、多様性を認めつつ討論をいとわない市民、異見を持つ者と積極的に対話しようとする市民、権力や制度の必要性と問題点を理解している市民、科学・中立・客観といった思考停止を招きやすい言葉に敏感な市民、必要ならば行動をとる勇気のある市民 6

 

 

を育てるために必要な

 


教師が変革的知識人として自らを認識し、子どもたちにとって意味のあるカリキュラムを主体的かつ協働的に創造できる存在になる

 

 

ための議論が学べる一冊です。


ここまで『幸せのための教育』と『主権者教育論』について整理してきました。
こうした議論を考えていくなかで問いが浮かんできます。

 


両者をめぐる問い

 

 


『主権者教育論』では、

 


「主権者になるために公的な問題についての対話」

 


の必要性が論じられます。
これに対して、

 

 

対話する場面が少ない社会。教育は変えられるのか。

 


という問いが浮かび上がります。
これに対しては、

 

 

教師は変革的知識人なのだから、プライドを持て。
授業で、教育で、社会を変えろ

 

 


という声がどこからか聴こえてきそうです。


では、


生徒からこんな疑問が出てきたらどうでしょう。

 

 

将来
1週間の内、7分の5は仕事。残りの2も地域や政治のことより、趣味や家族のことに時間を使う。そうなると、社会科って何?主権者として必要な思考力や行動力を身につけていつ使うの?

 

 

という問いです。生徒の文脈、社会の文脈から考えたときに


仕事やプライベートが忙しいのに、主権者として思考し行動する
子はどのくらいいるのでしょうか?


生徒個人の幸せに注目して、主権者教育を行わないと「授業という枠組みの中だから考える、学校という枠組みの中だから考える」という状態になりかねません。

 


解決策


そこで、
折衷としての「社会的起業」という実践を考えています。


社会問題をなぜ?なぜ?なぜ?
と分析し、社会的起業をする(アクションを起こす)実践です。
政策提言でもいいし、企業に対してプレゼンでもいいし、署名を集めるのでもいいです。
その取り組みが自分のキャリアや幸せとどうつながるのか、文脈をきっちり生徒が理解し、学んだことを将来使える!とイメージしてもらって主権者教育を実践したいなと思っています。


この雑誌にその成果を載せていただきました。
https://www.meijitosho.co.jp/edudb/detail.asp?code=03742_094


多忙で


社会の役に立つんだよ、民主主義を維持発展させるために必要なんだよ、自分の地域の問題だよ


と言われても


うーん


と首を傾げる人たちに


自分のキャリアや幸福にもつながっていきますよ


という動機づけもあったらより一層生徒が学んでくれるんじゃないかなと思います。


こうした解決策に対しては、


そんな社会的起業なんかしなくても、生徒が切実だと感じる問いを投げかけたり、社会問題を紹介したりする授業の腕があればいいんじゃ。そうすれば生徒は余暇の中で、民主主義や政策提言に対する優先順位もあげるじゃろ


という声もあるかもしれません。

どうなんでしょうか。


今後とも


生徒の幸せ
民主主義における主権者の育成


について考えを深めていきたいと思います。

 

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