僕らの自由を〜!
ケンシです!
今日は
芝生付きの家を望むのは歴史に支配されている〜『ホモデウス(上)』〜
について書きたいと思います。
ホモ・デウス(上) テクノロジーとサピエンスの未来 河出書房新社 2018
https://amzn.to/2JfdU1B
を読みました。
この本は、
前例のない水準の繁栄と健康と平和を確保した人類は、過去の記録や現在の価値観を考えると、次に不死と幸福と神性を標的とする可能性が高い、飢餓と疫病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう32
という予測を論拠たっぷりに書いてある本です。
その中の一節で
あぁ、芝生付きの家を買いたいってのは歴史に支配されてるんだな、と感じる文章がありました。
個人の住宅や公共の建物の入口前に芝生を育てるという発想は、中世後期にフランスやイギリスの貴族の城館で誕生した、そして近代初期にこの習慣は深く根を下ろし、貴族階級の象徴となった81
芝生を政治権力や社会的地位や経済的豊かさと同一視するようになった、だから19世紀に台頭してきた中産階級が芝生を熱心に取り入れたのも無理はない83
という文章です。
そして、この事例から、歴史を学ぶ意義を教養を身につける意義を。
以下のように語ります。
芝生についてこの小史を読んだあなたはこれから夢の家の建築を計画するとなったら、前庭に芝生を植えるかどうか、考え直してもいいかもしれない、もちろん植えるかどうかは依然としてあなたの自由だ、だがヨーロッパの君主や資本主義の大立者や、シンプソン一家から引き継いだ文化の重荷を振り落とし日本の石庭や何か斬新なものを考えたりするのもまたあなたの自由だ、歴史を学ぶ最高の理由がここにある、即ち未来を予測するのではなく過去から自らを解放し、他のさまざまな運命を創造するためだ、もちろんそれは全面的な自由ではない、わたしたちは過去に縛られることは避けられないが、少しでも自由がある方が全く自由がないよりも優る86