ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

「なぜ学ぶか」を問う社会科教育学と問わない?理科教育学

 


ディープインパクト

ケンシです!

 

 

 

今日は

 

 

 

「なぜ学ぶか」を問う社会科教育学と問わない?理科教育学

 

 

 

について書きたいと思います。

 

 

 

先日、理科教育学を深く学ばれている方のブログで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教科系では、教科内容を学ぶべきことであることは大前提で、疑われていません。

あったら教えてください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というニュアンスのことが書かれていました。

これを読んで、教科系(教科教育学)の中でも理科教育学は、なぜ学ぶか、問わないんだ!

 

 

 

と驚きました。

 

 

 

社会科教育学の場合は、

 

 

 

CINIIで

 

 

 

森分孝治

 

 

 

と検索すれば、なぜ学ぶかの

 

 

 

学術論文が出てきます。

 

 

 

また、著者では

f:id:kenshimanabiai:20200821185620p:image

 

 

 

 

 

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『社会科授業構成の理論と方法』が有名で、

 

 

 

なぜ社会科を学ぶか

 

 

 

から

 

 

 

なぜ江戸時代の政治を学ぶか

 

 

 

まで述べられています。

 

 

 

加えて、渡部竜也先生の訳書、著書

 

 

 

『教師のゲートキーピング』

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『歴史で私たちは何ができるか』

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でも、なぜ学ぶのか、エイムトークの重要性が述べられています。

 

 

 

このように社会科教育学では、なぜ学ぶのか、は徹底的に問われてきました。

 

 

 

なぜ社会科教育学は、なぜ学ぶのか、を問うのでしょうか。

 

 

 

理由が大きく2つあると思います。

 

 

 

1  社会科導入の歴史

 

 

 

社会科は1947年、「民主主義の花形」として導入されました。

しかし、これは国家の必要ではなく、

 

 

 

民主主義を注入したいGHQの必要

 

 

 

で導入されました。

 

 

 

導入したGHQがいなくなれば、なぜ学ぶのか、必要なのか、考えるのは必然です。

 

 

 

こうした背景から、GHQに導入された家庭科について、家庭科教育学でもなぜ学ぶのか、の議論は盛んです。

 

 

 

2 ニーズの衝突 特に歴史

 

 

 

とはいっても国家は歴史を必要としました。

「日本人」というアイデンティティを形成するためです。

 

 

 

日本人を作りたい国家

 


歴史学を発展させたい歴史学者

 


民主主義を守りたい市民

 

 

 

こうしたニーズの衝突があり、

 

 

 

なぜ学ぶのか

 

 

 

の議論が盛んになったと考えられます。

 

 

 

こうした議論の末、高校にあった

 

 

 

社会科

 

 

 

は解体され、科目ごとに分かれました。

(国家、学者のニーズが反映された形ですね。)

(『社会科解体論批判』に詳しく書かれています。)https://amzn.to/3aHx9dT

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このような背景で、社会科教育学は

 

 

 

なぜ学ぶか

 

 

 

の議論が盛んになりましたが、理科教育学はなぜ、なぜ学ぶか

 

 

 

を問わないのでしょうか。

 

 

 

社会科教育学の歴史から考えると、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ニーズの衝突

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


が比較的少なかったから

 

 

 

ではないでしょうか。

 

 

 

国家も学者も市民も「科学の繁栄」にうなずいたのではないでしょうか。

社会科、特に歴史のように

 

 

 

日本人をつくりたい国家

後継者を生みたい歴史学者

民主主義を守りたい市民

 

 

 

のような分裂は弱かったのかと推察します。

(繁栄か環境保護かでカリキュラムが揺れ動いてきた、と伺ったことはありますが。)

 

 

 

理科教育学に詳しい人がいたら教えてください。

 

 

 

ちなみに、数学教育では

 

 

 

数学教育の哲学 THE PHILOSOPHY OF MATHEMATICS EDUCATION 』

 


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に、

数学そのものが大切な立場から、民主主義のための数学

 

 

 

などが議論されていてとても刺激的でした。

 

 

 

国語については、現代文は読み書きのリテラシーは大事だなと感じます。

古文、漢文も

 

 

 

『歴史で私たちは何ができるか』

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の議論が応用できそうです。

 

 

 

個人的には、英語が気になります。

国際化の流れで日本では、70年代から英語教育が盛んになりました。

 

 

 

しかし、国際化!

 

 

 

で推すのも限界があるように感じます。

ちょっとした観光案内は、Google翻訳で。

 

 

 

旅先で軽く話すには、ポケトークで。

 

 

 

英語が本格的に必要なのは、長期的にそこそこのレベルの会話が必要な人です。

 

 

 

そうでない人に、

 

 

 

なぜ英語は必要なの?

 

 

 

という問いにどう答えるのでしょうか。

 

 

 

今後も教科教育学について、深めていきたいです。

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