ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

『学び合い』に飲み込まれていく〜真面目に5分語ってみたら〜

 

変わる〜変わるよ〜!自分は変わる〜!
ケンシです!


今日は


『学び合い』に飲み込まれていく〜真面目に5分語ってみたら〜


について書きたいと思います。


以前、


『学び合い』と信念はぶつかるか


という記事で


型通りの『学び合い』をやらないことが多かったこと。


語り5分

活動35分

フィードバック5分


という型の語り5分が、お笑い4分、語り1分などに化けてしまい語りが弱くなることがあること。


それは、


最も笑いを獲る先生でいたい
(学校めんどくせぇな、行きたくないな、という子に「まぁ楽しいこともあるし行ってやるかと思ってもらいたい」)


という先生を目指した頃の信念が影響しているかもしれないということ。
(学校には行かなくていいのかもしれませんが、、、)


について書きました。

 

 

 

が、

 

 

 


そういいつつ、2週間弱。
真面目に5分語っています。
講演で『学び合い』を提唱されている先生の話を聴いて


こんな風に語ろう!


と思ったからです。


すると、3倍になりました!


ケンシは毎回生徒たちに、授業終わりに授業評価カードを書いているのですが、そのコメントで


『学び合い』やつながり


に言及するものが3倍になったのです。


今までの大半は

 

 

 

ビスマルクのアメとムチの政策はうまくやるなと思った

 

 

 

という内容面に関するコメントが多く、30人中3人くらいが


全員達成できなくて悔しい


今日は助けることが出来てよかった


というコメントを書いてくれていたのですが、
それが3倍!
9人くらいに増えました。


お茶らけていては、伝えられない何かがあるのか。
笑いと真剣さを織り交ぜる技がまだまだなのか。


とにかく真面目に5分語ることの力強さを感じました。


本の通りにやる


というのはやはりすごいです。


同時に、寂しくもあります。自分の大切にしていたことが『学び合い』に飲み込まれていくような感覚もするからです。
また、自分が代替可能なコモディティ化をしていくのではないか。
(『学び合い』を大切にしている人といくらでも代替可能になる、教員としての個性の埋没? 子どもの一生の幸せに貢献するなら埋没すべき?)


ふと、恩師の言葉を思い出します。


教えるということは、学ぶということ。
学ぶということは、変わるということ。
だから、教えるということは、変わることでなければいけない。


軸は大切にしながら、折り合いをつけながら、変わっていけたらと思います。

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