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ケンシです!
今日は
『学び合い』と信念はぶつかるか
について書きたいと思います。
S_locarnoさんの
ならずものになろう
というブログ。
書評『学び合い』が効果的になる可能性があっても(2016.9.18)を読ませていただきました。
その中で、
自分の「国語科」の教員としての根源は、「いかに豊かな言語生活者を育てられるか」(うーん…このあたりが自分でもまだはっきりとしていない)ということにあり、本書や他の『学び合い』の書籍で提案されている授業ほど、単元学習や言語活動の質について、ドライに割り切ることができない。
という記述と出会いました。
(『学び合い』の書籍を丁寧に紹介されたあと、ご自分が『学び合い』をやらない理由について述べている文章です。)
この文章を読んだ時、はっ!!!!!
おんなじ理由だ!!!!!
と思いました。
なんの理由が同じなのか。
それは、ケンシが
型通りの『学び合い』をやらないことが多い
ということです。
『学び合い』は、
1人も見捨てないという願い
学校は多様な人と折り合いをつける場であるという学校観
子どもたちは有能であるというこども観
で構成される考え方です。
方法ではありません。
しかし、便宜上、『学び合い』の型などが、書籍やWATCHAでも紹介されていました。
それは、1時間での動きが
語り5分
活動35分
フィードバック5分
というものです。
ケンシはしばしば
語り5分が
お笑い4分、語り1分などに化けてしまい語りが弱くなることがあります。
それは、
最も笑いを獲る先生でいたい
(学校めんどくせぇな、行きたくないな、という子に「まぁ楽しいこともあるし行ってやるかと思ってもらいたい」)
という先生を目指した頃の信念が影響しています。
(信念=なんのために教師としてどう在るべきか)
(学校には行かなくていいのかもしれませんが、、、)
笑いもなくお堅い話をするのは無礼だ、と思う気持ちもあります。
(しゃべりのオチの多くを授業内容につなげ、導入にしています)
また、しばしば単元の終わりに討論授業を行うこともあります。
それは、
社会科を通して武器を授けたい
(一生涯使える思考力、表現力をみにつけて欲しい)
という先生を目指した頃の信念が影響しています。
『学び合い』の型ではどうしても伸ばせない一生涯使える力があると思います。ロカルノさんの言葉を借りれば、
『学び合い』の書籍で提案されている授業ほど、単元学習や言語活動の質について、ドライに割り切ることができない。
と思います。
『学び合い』の考えと自分の信念はぶつかるのでしょうか。
難しいと思いますが、折り合いをつけていきたいです。
笑いを短時間で取って、語りへ。
資質能力を意識した『学び合い』の課題づくりを。
『学び合い』も信念も好きなものは大切にしたいです。