中国語は軽声がカギ!
ケンシです!
今日は
会議が多くなる理由も、なんとなく討論で意見を言っている理由も学習科学で説明できる〜『学習科学ガイドブック』より〜
について書きたいと思います。
同僚の先生と
読書会
をやっています。
そこで、
学習科学ガイドブック 主体的・対話的で深い学びに導く 大島純 編 北大路書房 2019
を読みました。
主体的・対話的で深い学びについて
大学の教科書
風にまとめられており、改めて主体的・対話的で深い学びについて確認する機会になりました。
加えて、
会議が多くなっている理由、
討論でなんとなく意見を言っている理由
がわかったのです。
本書によると、
キューンらが
認識論的理解 66
をまとめており、人には理解の4段階があるそうです。以下、引用です。()はケンシな理の具体例や思いです。
現実主義
→人が何かを知っているというとき、その內容は現実をそのままうつし取ったものであると考える段階 幼児
((男の人が重たいものを持ってるのを見て)へぇ〜!男の人が重たいものを持つんだ!)
絶対主義
→誤信念が生じるのは誤った情報が与えられてるからにすぎず、現実に照らして直ちに修正することができると考える段階。 信念が対立する場合はどれか一つが正しいと考える。 誤信念課題を通過した幼児
(え、男の人が重たいものを持っていなかったから、持たなくてもいいって? それはちゃんと男の人が重たいものを持っているところを見てないからだよ)
→対立する信念はどれも等しく正しく、好みの問題と考える 青年期
(重たいものは男の人が持てって意見も、今時そんなん古いって意見もあるよね)
(これなんだよ〜! 自分自身もそうなりがちだけど、生徒もこの段階にいることが多い。みんな違ってみんないい、で止まる。原子力発電に賛成か反対か、など、メリット、デメリットを踏まえて自分の意見を書くが、この段階にいる。反論を受けると、「確かにそうだけど、でもやっぱこのメリットが大事だと思う」と反論を返すことができる。しかし、なぜ受けた反論よりもそのメリットが大切なのか、という基準、視点、価値観を言語化できるレベルに育てられていない。もちろんそれに到達してる子もいるけど。それぞれの基準や価値観を育むのが社会科の使命かもしれない)
評価主義
→基準によっていずれかがより適切であると判断することができる 多くの人が成人期までに到達するが、全員ではない
(自分も含めてですが、決断が遅かったり、人に反論を言われて、自分で決められず相談して、会議が増えたり延びたりする現象は、相対主義か評価主義かで説明がつくかもしれません)
ここまでが引用です。
これらによると、
会議が多くなっている理由、
討論でなんとなく意見を言っている理由
は、
認識論的理解が
評価主義に届かず、相対主義に留まっているから
で説明がつくかもしれません。
溝口和宏さんのように
価値観形成を社会科教育、学校教育でどう実施するかが鍵かもしれません。