ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

「曖昧なルーブリックがいい」に感じるジレンマと反省

渋沢栄一深谷

ケンシです!

 

 

 

今日は

 

 

 

「曖昧なルーブリックがいい」に感じるジレンマと反省

 

 

 

について書きたいと思います。

 

 

 

管見によると、

 

 

 

よくこんなルーブリックを見かけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても論理的に書かれている A

 

 

 

論理的に書かれている B

 

 

 

あまり論理的に書かれていない C

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


などです。

 

 

 

とても論理的と論理的の間には何があるのでしょうか。

 

 

 

生徒はどう捉え、学んでいるのでしょうか。

 

 

 

指導と評価は一体化されているのでしょうか。

 

 

 

こんな疑問を同僚の先生に相談すると、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人ひとりの成果物が違うのだから統一して具体的なルーブリックは定められないのではないか

 


生徒の成果物が出揃ってから、とても論理的 と 論理的 の間を定めた方が説明しやすいのではないか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


という意見をいただきました。

 

 

 

しかし、生徒の学びを支援したり、指導と評価の一体化という点では甘いのではないかと考えて、ケンシは以下のようなルーブリックを使っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


下記に加えて、3本以上論文を引用することができている

 


下記に加えて、ホームページなどを活用できている

 


教科書を活用できている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


などです。

 

 

 

このように「副詞」ではなく、動詞や数字でルーブリックをつくってみたら、生徒の学びの支援や指導と評価の一体化にはかなりなりました。しかし、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天井

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ができてしまいました。

 

 

 

教科書、ホームページ、論文以外のアプローチ

 

 

 

例えばインタビューや地図の活用を生徒はしません。

 

 

 

また、

 

 

 

論文を3本以上

 

 

 

とすると

 

 

 

論文を4本読む子はいません。

 

 

 

これがもし

 

 

 

とても論理的

 

 

 

などの基準だとしたら、インタビューを行ったり、論文を4本読むような子もいたのかもしれません。

 

 

 

今のところ、読んできた本(『理解をもたらすカリキュラム設計』『PBL Problem based Learnmg 学びの可能性をひらく授業づくり 日常生活の問題から確かな学力を育成する』『成績をハックする』などなど)や経験則からは

 

 

 

・動詞や数字を軸にしたルーブリックに曖昧なものを混ぜる

・いっそのこと評価しない

 

 

 

がPBL(プロジェクト学習)において生徒の学びを最大限支援するのにいいのかも!?

 

 

 

と感じました。

 

 

 

今後もルーブリックについて深めていきたいです。

 

その他の教育ブログはこちら→ にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村