ケンシです!
今日は
「曖昧なルーブリックがいい」に感じるジレンマと反省
について書きたいと思います。
管見によると、
よくこんなルーブリックを見かけます。
とても論理的に書かれている A
論理的に書かれている B
あまり論理的に書かれていない C
などです。
とても論理的と論理的の間には何があるのでしょうか。
生徒はどう捉え、学んでいるのでしょうか。
指導と評価は一体化されているのでしょうか。
こんな疑問を同僚の先生に相談すると、
一人ひとりの成果物が違うのだから統一して具体的なルーブリックは定められないのではないか
生徒の成果物が出揃ってから、とても論理的 と 論理的 の間を定めた方が説明しやすいのではないか
という意見をいただきました。
しかし、生徒の学びを支援したり、指導と評価の一体化という点では甘いのではないかと考えて、ケンシは以下のようなルーブリックを使っています。
下記に加えて、3本以上論文を引用することができている
下記に加えて、ホームページなどを活用できている
教科書を活用できている
などです。
このように「副詞」ではなく、動詞や数字でルーブリックをつくってみたら、生徒の学びの支援や指導と評価の一体化にはかなりなりました。しかし、
天井
ができてしまいました。
教科書、ホームページ、論文以外のアプローチ
例えばインタビューや地図の活用を生徒はしません。
また、
論文を3本以上
とすると
論文を4本読む子はいません。
これがもし
とても論理的
などの基準だとしたら、インタビューを行ったり、論文を4本読むような子もいたのかもしれません。
今のところ、読んできた本(『理解をもたらすカリキュラム設計』『PBL Problem based Learnmg 学びの可能性をひらく授業づくり 日常生活の問題から確かな学力を育成する』『成績をハックする』などなど)や経験則からは
・動詞や数字を軸にしたルーブリックに曖昧なものを混ぜる
・いっそのこと評価しない
がPBL(プロジェクト学習)において生徒の学びを最大限支援するのにいいのかも!?
と感じました。
今後もルーブリックについて深めていきたいです。