ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

社会を変えるには

 

 

笑う門には福来る!
ケンシです!
今日は、「社会を変えるには」について書きたいと思います。


ケンシは、大学時代。ふと思ったことがあります。


講義を受けて、サークル行って、本読んで、バイトして。

 

 

 


毎日同じ繰り返しでいいのか

 

 

 


と。

 

 

 

基本、4年しかない大学生活をなんだか同じ日々の繰り返しで終えていいのか

 

 

 


と。

 

 

 

真面目な大学に風を吹かせてやりてぇ

 

 

 


と。


たまたま2月初めだったこともあって思いつきました。

 

 

 


心を鬼にして鬼をやろう

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

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これは盛り上がる。
絶対盛り上がる。
毎日同じ繰り返しの大学に、笑いという風を吹かせてやるんじゃ
と意を決して、着替えたトイレから飛び出し学内を歩きはじめました。
自ら千円分豆を買い込み、通りすがる人に


「よかったら、日本文化に親しみませんか?」


と声をかけ、豆を渡し、投げていただく。
自ら豆のシャワーを浴びに行く。
落ちた豆はしっかり拾う。


この流れでやったるぞ!!!

 

と思ったケンシに待っていたのは

 

 

 


冷たい視線

 

 

 

でした。豆を投げつけていただく前に、冷たい視線を投げつけられました。
笑いという風どころか、心に隙間風がびゅうびゅう吹きました。

 

 

 


やっぱり辞めよう

 

 

 

と思ったケンシによぎったのは、
「笑いという風をふかせるんじゃ」という最初の志。そして、

 

 

 

コスプレと豆にかかった金

 

 

 

でした。


笑いという風を吹かせるんだ!
(払ったお金の元はとるぞ)


という強い気持ちで



を続けていくと、


くすくす笑いをしてくださる方や、豆を投げつけてくださる方に出会いました。



を1日やって充実感に包まれました。そして、思ったのは、

 

 

 

いてぇ。

 

 

 

これやって何になったの?

 

 

 


ということでした。案外、豆って痛いんですよね。


鬼さんもこう思ってたんだな。
鬼さんの気持ちになれたやったー!


いやいや、うん千円払って収穫それ?
どうせ笑ってくれてた人も1週間後には今日のこと忘れてるよ、やってどうなったんだよ


と激しく自分にツッこんでいたケンシは、こんな言葉に出会います。

 

 

 


社会を変えるには、あなたが変わること。あなたが変わるには、あなたが動くこと。(p502 503)

 

 

 

参加して何が変わるのか。参加できる社会、参加できる自分が生まれます。(p516 517)

 

 


すっと、心の中の自己嫌悪の鬼が外に消えていきました。この言葉は、
小熊英二さんの『社会を変えるには』で出会いました。
特にビビっときたのは以下の点です。

 

王が社会を代表している、という観念をみんなが共有している社会では、王を替えるか倒すかすれば「社会を変える」ことになりました
議会の政党配置が社会を代表している、という観念が共有されていた時代は、議会で多数派をとることが社会を変えることでした。
現代で、それにあたるものはないと言ってもいいかもしれません。
しかし、現代の誰しもが共有している問題意識があります。それは、「誰もが自由になってきた」「誰もが自分の言うことを聞いてくれなくなってきた」「自分はないがしろにされている」
という感覚です。これは首相であろうと、高級官僚であろうと、非正規雇用労働者であろうと、おそらく共有されています。それを変えれば、誰にとっても「社会を変える」ことになる、とは言えないでしょうか。
(P434)

 

何が変わったら社会が変わることになるのか、その基準についてヒントをくれる本でした。


「自分はないがしろにされている」という感覚を現代の多くの人が共有することになった、理由や具体例は本書にたっぷり載っておりますが、

現代で社会を変えるには「自分はないがしろにされている」という感覚が少しずつなくなっていくってことなのかなぁ。と感じました。


これって、「1人も見捨てない」という願いにも通じるかもしれません。


この願いは、歴史社会学的な根拠付けもできるのかなぁと考えました。


そして、


程々でいいかな


とふと思うことがあると、この本のこと。そして、あの日のことを思い出します。心を鬼にして鬼になり、冷たい視線に、豆シャワーに立ち向かって行ったあの日のことを。


今の自分は、立ち向かえているだろうか。
自分は、変わろうとしているだろうか。動こうとしているだろうか。


人をないがしろにする鬼が巣食う社会を変えるために、全ての人が福を感じられるよう頑張っていきたいと思います。


鬼は外。福は内。

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