ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

テルマエの死

「埼玉県民にはその辺の草でも食わせておけ!」
どうも、埼玉県とゆかりのあるケンシです!
今日は「テルマエの死」について書きたいと思います。
現在、「翔んで埼玉」なる映画が絶賛上映中。
埼玉県はなんと東京都の売り上げを越え、埼玉で最も売れた「男たちのYAMATO」の400%の動員を既に誇っているモンスター映画です。
テルマエ・ロマエの監督が撮りました。
映画界の頂点に向けてまさに「翔んで」行っている最中です。

ケンシも『学び合い』(当初は、課題を自由にやらせる授業!という認識)で教育界の頂点に向けて「翔んで」行きたいと思っていたのですが、
見事に墜落しました。

最初の頃は、エセ『学び合い』でも中学生の反応が良かったのですが、段々と

・1人でもできる
・話を聞いた方がわかりやすい

という不満がケンシにもハッキリ聞こえるくらい膨れ上がってきていました。

どうしたものか。
そんなこと言う生徒には「そこら辺の草でも食わせておけ!」と言いたいところですけど言ったら首が「翔んで」いきますからね。言えません。

そこで何冊も何冊も本を読み、考え方として『学び合い』を理解できるようになりました。
『学び合い』とは、
・1人も見捨てないという願い
(生徒の一生涯の幸せを願う)
・子どもたちは有能であるという子ども観
・学校は多様な人と折り合いをつける場所だという学校観
で成り立つ「考え方」なんだなぁ。と。

それを形にすると、オーソドックスな形が
・最初の5分で1人も見捨てないことをあの手この手で語る
・40分は生徒が課題に取り組む
(誰が終わったかどうか見える化するために黒板にネームプレートを貼る)
・残り5分は生徒の活動のフィードバックや、語り

なのかなぁ。大体は。と。

そして、この考え方が腹に落ちる記憶が呼び覚まされました。
















テルマエが亡くなった。首を吊ったらしい。」

教師になるために頑張るぞ!と意気込んでいた大学4年の時。高校時代の担任から電話がありました。テルマエは、映画「テルマエ・ロマエ」の主役。阿部寛に似ているイケメンで、明るく楽しいやつでした。
思えば、大学2年の時、テルマエはLINEで連絡がつかなくなりました。携帯でも変えたんだろう。軽く考えていました。
「あの時、自分が何か行動をしていれば」
後悔と自責の念でいっぱいになりました。彼のことを今でも夢に見ます。
教え子に二度と同じ思いをさせたくない。

「心の教科指導」「1人も見捨てない教育・社会」
考え方としての『学び合い』に出会ったとき。「これだ。」と思いました。
こんな思いをする人を増やしたくない。教え子に同じ思いをさせたくない。
だからこそ、ケンシは『学び合い』をやります。

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