犬派も猫派もかめはめ波!
こんにちは、ケンシです。
今日は『学び合い』との出会いについて書きたいと思います。
「よしっ!探究主義社会科と討論授業で生徒の心をワンチャンつかめるで!」
と思ったケンシでした。
しかし!!
挫折します。
「これ毎時間出来なくね?」
教育実習はなんとかやりたい授業ができました。
しかし、毎時間となると探究主義社会科や討論授業は実施が難しいと感じました。理由は、教えなければいけない内容を網羅できないからです。(教科書の太字。)(指導要領的にはやらなくてもいいこともあると思うのですが)
うまく教えなければいけない内容を網羅しつつ進められる単元もあるな、も思ったのですが、明らかに難しい単元も多くあるように感じました。
探究主義社会科や討論授業をやられている先輩に話を聞くと、
「なんとか駆け足で授業を進めて、単元の最後に1時間やっている」
という声がありました。
どうやら探究主義社会科、討論授業をするには知識を網羅する授業もしなければいけない、という考えに至りました。
しかし、教科書を説明するだけの授業は絶対に嫌だ。
そう考えていたところ、教育実習でお世話になった先生が
「西川純の『学び合い』って知ってる?見においで」
と誘ってくれました。
見に行ったところ、
・プリント配布 「どんどんやって。聞きたいことあったら立ち歩いてもいいよ」という声かけ。定期的な机間巡視
・解説
・また「どんどんやって」
という授業でした。
今から思うと、語りもないし、解説もしているので、いわゆる「足して2で割る『学び合い』」なのかなぁ、『学び合い』もどきなのかなぁと思います。
『学び合い』=自由に課題をやらせる。アクティブラーニングだからいいでしょ?というような認識です。
この認識で『学び合い』をやると、きっと色々な問題がでてしまうのだろう、、
(見せてくださった先生はとても力のある先生で魅力的だったのですが、、、)
と今だと思うのですが
当時のケンシは、
「うおおお、これ最高!!生徒も楽しく網羅して生まれた時間でやりたい授業ができる!」
と感じた邪道な出会いでした。網羅するための「方法」として出会いました。
しかし、この認識は、
『高校教師のためのアクティブ・ラーニング』
『すぐわかる!できる!アクティブ・ラーニング 楽しい授業の方法がこの一冊でわかる!』
を読んでも変わらなかったのです。