最近、非大卒の人とご飯を食べたのはいつですか?
ケンシです!
今日は
『日本の分断』が教えてくれる公立小中学校で『学び合い』をする意義
について書きたいと思います。
日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち 吉川徹(きっかわとおる) 光文社新書 2018
を読みました。
この本は、
分断社会とは、社会に顕在するアイデンティティ境界に基づいて、相互交流の少ない人びとの間で、不平等が固定している状態 30
現代日本は、大学・短大に進学するかしないかの選択が、その後の人生を分断していく社会なのであり、しかもそれが世代を超えて繰り返されはじめているのです 94
わたしたちが日常的に取り組むことができるのは、大卒非大卒の関係の隔絶をなくすこと 250
日常的に少しだけ目配りと気配りをする251
わたしたちが取り組むべきことは、たすきがけのかたちで、セグメントを越えた理解と交流をすること252
丸の内で外資系企業に勤める大卒女性には、例えば奥能登や南紀などで地方のコミュニティを守っているブルーカラー職の50代の非大卒男性の日々の暮らしを知っていることが望まれます、地方の高齢者介護施設で働く若年非大卒女性と都会で大企業の部長を務める壮年大卒男性も同じ社会の構成員として繋がっているという思いを持つことが望まれます 252
といった
日本の分断の現状に警鐘をならし、その解決策を提案する1冊です。
最後の解決策、しびれましたね。
『学び合い』をやる方がしばしば語る
いい大学いってもやばい!
乗り越えるにはつながり!
という論とは異なるのですが、結論は
つながり
です。
しかも大卒と非大卒関のつながりです。
これって色々なケースがあると思いますが、大卒と非大卒が入り交じっている空間って
公立の小中学校
ではないでしょうか。
だからこそ、そこで『学び合い』や誰かとのつながり、幸せを願って教壇にたつことに現代日本ではすこぶる意味があるのかもしれません。