ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

言い逃れのできない問いの必要性

 

すきすきすきすきすきっすき〜!
ケンシです!


今日は


言い逃れのできない問いの必要性


について書きたいと思います。


AさんとBさんがもめたとします。
AさんはBさんに肩を叩かれた、Bさんを指導して欲しいと主張していたとします。
Bさんは自分を守ることに必死な生徒だとします。


Bさんに事実確認をする時、今までのケンシだったら


今日なんでよばれたかわかる?


だれかと、もめなかった?


Aさんと最近なんかあった?


BさんがAさんの肩を叩いたと聞いたんだけど?


と聞いて、全部首を振られお手上げ状態になっていました。
なるべく、生徒から話して欲しいという願いでぼんやり聞いていき、核心に迫ろうとするのですが、先輩の姿を見て学んだケンシは以下のようにやってみました。

 

 

 


今日なんでよばれたかわかる?


今日、誰と話した?


Aさんと話さなかった?


Bさん、Aさんに触れた?

 

 


と聞き、

 

 

 

肩を組もうとした

 

 


という発言を引き出すことに成功しました。
当たり前かもしれせんが、


価値を含んだ問いをしない


ことが大切だと学びました。


もめる、なんかあった、肩を叩いた


全部、価値が含まれているのです。


肩を叩いた、も価値です。


Bさんからしたら、肩を回したつもりだったのかもしれません。


なんだか、刑事や裁判官みたいな話になってしまいますが、


自己指導能力を育成する生徒指導にあたるためには必要なスキルなのかもしれません。

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