文学少女!
ケンシです!
今日は
文学が面白い〜『命売ります』から〜
について書きたいと思います。
『命売ります』 三島由紀夫 ちくま文庫 1998(1974)
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を読みました。
いつも自分はこうやって、何かが起るの待っている。それはまるで「生きること」に似ているではないか。トウキョウ・アドにいたころ、ばかにモダンにしつらえた明るすぎるオフィスで、みんな最新型の背広を着て、手の汚れない仕事をしていた毎日のほうが、はるかに死んでいたではないか。今、死ぬと決めた人間が、たとえ死そのものをにせよ、未来に何かを期待してブランデーをちびちびやっている姿は、何かおかしな矛盾を犯してはいないだろうか 96
生きることがすなわち不安だという感覚219
といったセリフに代表されるように
自殺に失敗した主人公が「命売ります」という新聞広告を出して、様々な人と出会います。
スリル、サスペンスであり、上手に心情の変化が描かれ、命とは何か考えさせられます。
いい作品だったなぁ、と思いました。
が、それ以上に面白かったのは、
種村季弘すえひろさんの解説です。自分の読みの浅さ?
専門的な読み?が少しわかってとっても楽しかったです。
昭和43年プレイボーイに掲載されていたこと。
葉隠美学、スリラー漫画、ヤクザ映画好みの通俗行動主義哲学、ガールハント、マンハントなどと評されることもあること。
そして、
ウィーンの世紀末詩人フーゴー・フォン・ホーフマンスタール『チャンドス卿の手紙』
→10代で天才的な詩を書いた少年、数年後に「言葉が、口のなかで、まるで腐敗した茸たけのようにこなごなになってしまう」
→自身の失語体験
→羽仁男もまた、程度の差こそあれ全能感の輝かしい高みから不能感の闇に失墜し、没落とデカダンスの汚泥のなかを這いずり回るのである 267
デカダンス(退廃的な傾向)
→彼もまた戦時中十代で『花ざかりの森』を書いた少年詩人の過去を持ち、戦後の大衆社会状況のなかで、早い話が現に『命売ります』を書く売文作家まがいの落魄らくはくを生きている267
世紀末デカダンス文学の没落と衰退の感情
→行動へのあこがれと行動不能が裏腹になった世紀末的精神状況共通の産物 268
バブル経済の全能感からもんどりうって失墜した90年代末の日本人は、ようやくこの小説のまるごとの読者になる背丈に成熟してきたのではあるまいか268
小説家三島由紀夫その人の生身の魂の告白が、あからさまに吐露されているように思えてならない269
といった概念、時代、本人の経歴から読み解く解説が面白かったです。文学、面白い!