ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

教科書を批判的に検討した先に

 

湯呑み!
ケンシです!


今日は


教科書を批判的に検討した先に


について書きたいと思います。


探求学習や討論学習をおこなっています。
自分で考える。自分の考えを表現する。
を大切にしてもらっていると、しばしば

 


教科書の記述は絶対に正しいと言えることがないのでは?

 


と生徒から言ってもらうことがあります。


それに対して、

 


そうかもしれないね。歴史学者には歴史学者の語りが、高校生には高校生の語りがあるかもしれないね。
自分はこう思うぞ!


と思える歴史解釈、叙述をしていこう!

 


といつも切り返しています。
これに対して、

 


歴史学者の解釈を他と同列に扱うのは違うのではないか

 


というご意見も目にしました。


自分は、主権者教育を論じている社会科教育学者の


専門家を鵜呑みにするな


という言葉を鵜呑みにしてしまっていたのかもしれない。
専門家である歴史学者を鵜呑みにしてはいけない!
という社会科教育学者、主権者教育の専門家の声を鵜呑みにしてひまったのかもしれない。


と考える機会をいただきました。


昔、海外勤務(日本人学校)をしているときに、


マイハテナ


というのを実施していました。


へんだなぁ 
疑問に思うなぁ


と思うことを探究してまとめるレポートのようなものです。
やってもいいし、やらなくてもいいものです。


その中で、


「新聞スタンド「戦争の夢」」という資料が教科書に記載されており、これにハテナを感じた子がいました。


この資料は、新聞屋さんの新聞に、原っぱで寝転ぶ兵士が描かれている資料です。


第三共和政のフランスのページで扱われた資料です。


これに対して、生徒は


戦争の夢とは何か。
この資料を通して、教科書会社は何を伝えたかったのか。


という問いを持ちました。
この単元では、「国を愛することは平和をもたらすか?」という単元を貫く問いを学んでいました。
ナショナリズムと平和を考察するのが目標です。

単元を貫く問い、目標にドンピシャな生徒の問い。


新聞を通して、ナショナリズムが駆り立てられたんだぞ!!


と伝えたい気持ちもあったのですがグッとこらえて、生徒の探究を支援。


中国の日本人学校だったため、文献はうまく手に入らない。
インターネットも規制される中でなんとか
Google検索と
論文検索サイト


などを活用しましたが、全然ヒットしない。
生徒の探究を支援しているうちに、生徒と一緒に自分自身も


戦争に夢を抱くほど、新聞の影響力は本当に強かったんだろうか


戦争の夢、というタイトルは資料の元々のタイトルなのか、教科書会社がつけたタイトルなのか。本当に適切なのだろうか


など、問いをもちました。


生徒と相談し


いっそ教科書会社に問い合わせちゃおう!


ということで、


戦争の夢とは何か。
この資料を通して、教科書会社は何を伝えたかったのか。


を教科書会社に問い合わせました。
本当はタイトルも批判的に問い合わせたかったのですが、まずは資料の出所もわからないので、最初の生徒の問いを確認。


すると、
ポール・ルグラン(1863-1951)の『デタイユの絵「夢」の前で』Devant "Le rêve " de Detailleという作品


であり、エドゥアール・デタイユ(1848-1912)という,戦場や兵士・軍関係の人たちの姿を描くのを得意としていた画家の『夢』(1888)という作品(当時の第三共和政下の徴集兵が演習の後に野営地で眠りについている広い平原の様子)が,おそらくは新聞かなにかに掲載された大きな図版として新聞スタンドに広告を兼ねて掲出され,それを子ども達が感心した様子で眺めている(愛国心,祖国愛に訴えかけている絵に反応している)という場面を,ルグランが描いた,という作品になります。


という回答をいただきました。


さらに、様々な解釈ができること


そしてなんと


この質問に答えるために、改めて調査をしてくださりその中で


絵画の制作年に誤りがあったことを教えてくださいました。


次年度から、この誤りを修正してくださるとのことでした。


直接ではないですが、生徒と教科書を批判的に検討したら


教科書の改訂


が行われたのです。


あくまで、教科書は歴史学者と編集者がつくったもので、絶対に正しいわけではない。
市民として、自分たちの頭で考え、表現することは大切なんだよ


と生徒には伝えました。
少し感覚的な語りで今後はどうしたものかとも思います。


教科書の記述は絶対に正しいと言えることがないのでは?


と生徒が言ってきたとき、どうするかについて、歴史教育の大学の先生からは


生徒が切実に考えたい問いを投げかける
議論する
生徒自身のアウトプットを適切に評価していく


というアドバイスをいただきました。


このアドバイスを生かしたり、歴史学者を尊重する姿勢も持ったりしながら、生徒自身が「専門家の意見に耳を傾けるが決してそれを盲目的に受け入れるのではなく自らの五感でそれを確かめ、最終判断を下せる市民」になれるよう今後も頑張っていきたいと思います。


自身も、専門家を鵜呑みにするだけではなく五感をフル活用していきたいと思います。

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