ケンシ@『学び合い』と真正の学びブログ

本の紹介、高等学院の立ち上げ、育児について書いています。以前は、『学び合い』、真正の学び、社会科教育などをメインに書いていました。

野球部に坊主が多いのはなぜか〜学術論文から分析する〜

 

 

安倍晴明

ケンシです!

 

 

今日は

 

 

野球部に坊主が多いのはなぜか〜学術論文から分析する〜

 

 

について書きたいと思います。

 

 

始まりましたね、夏の甲子園

 

 

甲子園の予選を見てると、

 

 

野球部に坊主が多いのはなぜか


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という問いを立ててプロジェクトを進めてくれていた生徒を思い出します。

 

 

彼らは坊主反対派のダルビッシュ有さんに直接Twitterのリプでインタビューをしてみました。

 

 

本人からリプは帰ってきませんでしたが、

 

 

なんとフォロワー多数の某インフルエンサーにリアクションをしてもらい、彼らの問題意識が拡散されました。

 

 

そこでこちらとしては、SNSマーケティング的な方向でコーチングをしてみました。

一方、学術的な、社会科学的なコーチングは薄くなってしまいました。

その反省を込めて書きます。

 

 

「スポーツにおけるプロフェッショナル・イデオロギーの萌芽に関する歴史的社会学的研究 : 大正期の野球をめぐって」菊 幸一, 古園井 昌喜(1990)

(『日本体育学会大会号 41A 巻』p109)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspeconf/41A/0/41A_109/_pdf/-char/ja

 

 

によると大正期に立ち上がったプロ野球について

 

 

 

 

 

 

財政的墓盤を広く野球愛好者の自主的な入会金と会費によって賄い、健全な野球の発展をリードしていくクラブ組織の頂点としてプロ野球を位置づけようとした。したがって、選手の募集条件として技量の優秀性ばかりでなく学歴、人格をも重視し、その研修生活は、日常の礼儀作法、しつけ、あるいは野球理論、一般教養等を重視した非常にストイックなものであった

 

 

 

 

 

 

と述べられています。

つまり、お金を集めるという経済的な視点、人からお金を出してもらいやすいような募集条件という心理学的、マーケティング的な視点から

 

 

礼儀

 

 

プロ野球に求められるようになったということです。

 

 

この流れで、礼儀の必要性が派生して坊主につながっていったのではないかと仮説を立てました。

 

 

次に、

「中等学校野球の動向からみた「野球統制令」の歴史的意義」

田代 正之(1996)(『スポーツ史研究 9 巻』p 11-p26)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjshjb/9/0/9_KJ00002348955/_pdf/-char/ja

 

 

によると、

 

 

1932年に出された野球統制令について、野球選手の

 

 

 

 

 

健全なる発達 14

 

 

 

 

 

が目指されたこと。

 

 

その背景として、

 

 

 

 

 

 

国家のスポーツ政策の中心的な位置を占めるにいたった思想善導が、強力に展開されていく過程の中で起こった問題であった 12

 

 

 

 

 

 

とする説や、

 

 

 

 

 

 

野球を行う究極の目的を勝利ではなく、その過程にある人格陶冶に置いた 12

 

 

教育性重視の野球観 13

 

 

 

 

 

について取り上げています。

 

 

つまり、教育政策、政治的な視点や教育的な視点から

 

 

野球=健全な発達に貢献すべし

 

 

という図式が成り立っていきました。

 

 

また、当時野球ビジネスがとても盛り上がり、それを国家が統制しようとしたという経済的、イデオロギー的な見方もこの図式を支えていたようです。

 

 

このように、多面的に野球部に坊主が多い理由を探究できそうです。

 

 

最近では、坊主をやめた野球部の例などもあります。

 

 

ケンシとプロジェクトをしていた生徒たちは高野連に「坊主でなくてもよいよ」と声明をだしてもらう提言案をまとめましたが、届きませんでした。

 

 

みなさんは野球部の坊主についてどう思いますか?

 

 

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