かりっかり!
ケンシです!
今日は
「責任の移行モデル」に対して『学び合い』実践者が感じる不安
について書きたいと思います。
「学びの責任」は誰にあるのか 「責任の移行モデル」で授業が変わる ダグラス・フィッシャー & ナンシー・フレイ 吉田新一郎訳 新評論 2017
を読んで不安になりました。
この本は、
責任の移行 四つのステップ ⅱ ⅲ
1 教師が焦点を絞った講義をしたり見本を示したりする 焦点を絞った指導
2 教師がサポートしながら生徒たちは練習する 教師がガイドする指導
3 生徒たちが協力しながら問題解決や話し合いをする 協働学習
4 生徒は個別に自分がわかっていることやできることを示す 個別学習
など、責任の移行モデルについて述べられた本です。
なぜ不安に思うのか。
それは、
「なぜ」が弱く、とりあえず任せればいいや
ととれる主張であり、
『学び合い』やアクティブラーニングを「任せただけでは這い回る」と批判する人の論拠に悪用されかねないから
です。
なぜ責任を移行するのか。本書では、
責任の移行の裏付けとなる理論 6
→ヴィゴツキー 最近接発達領域
→バンデューラ モデリング
→ブルーナー 足場かけ
が紹介されています。
なぜ最近接発達領域なのか、なぜ足場かけなのか、まで深掘りが欲しかったです。
なぜ、目的がないと
任せただけ、放任
のように周りの人から見えます。
おそらく、『学び合い』やアクティブラーニングを学ばずに批判する人には、この
なぜや目的
を問う姿勢が弱いのかもしれません。
だからこそ、
生徒が勝手に学んで這い回ってるだけ
と感じる人がいるのかも。
吉田新一郎さんの訳書なので、おそらく
一生涯の学び手
という目的になると思いますが。
それにしても
なぜ一生涯の学び手なのか。なぜ思考力や対話力、つながり、一人も見捨てないという願いではないのか。
なぜ、が欲しかったです。
その点、科学的探求学習や『学び合い』は
なぜ
がしっかりあるように感じます。