エビ、たっべいこ〜!
ケンシです!
今日は
『学び合い』と尊王の志士
について書きたいと思います。
『竜馬がゆく』が好きなのですが、その中に
少しでも血の気のある今どきの若い武士は、日本外史を読んだり、江戸の碩学をたずねて物の理を解明したり、尊王の心を練ったりしている
という表現が出てきます。
この、心を練る
というのが、『学び合い』の実践と通ずるところがあると感じています。
授業のために教室に向かう前。
職員室の席でそっと目を閉じ。
なんのために教員をやるのか
授業で何が提供できるのか
なぜ『学び合い』なのか
あの子たちの2,30年後の幸せを考えたら、何が必要なのか
そんなことを問い、心を練ります。
これが『学び合い』をやる上では欠かせないのかなと感じます。
忙しさにかまけて、これをやる余裕がなくなると、語りの時間が短くなり、生徒の動きが悪くなります。
よく『学び合い』は心でやる実践と聴きますが、うなずけます。
非科学的な話に思えるので、いずれエビデンスを出せるといいのですが、、、