個人的には〜!
ケンシです!
今日は
集団を大切にすることとファシズムの線引きはどこか〜『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から〜
について書きたいと思います。
たまに『学び合い』は全体主義、ファシズムだと言われることがあります。
ケンシは決してそうは思いません。
そこで集団を大切にすることとファシズムについて考えたいと思っていたところ、
社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学 ジョナサン・ハイト 紀伊國屋書店 2014
に出会いました。
この本によると、
ファシズムとは、集団を志向する心理をグロテスクなまでに誇張した原理 374
であり、さらに踊りからファシズムを考えエーレンライク『街路での踊り』から、
我を忘れてダンスを踊ることは、階層性を解体して、人々を共同体へと統合するため 374
→全体の雰囲気は以前よりも少しほぐれる
ファシストにとって、集会は祭りではなくスペクタクル(大げさな見世物)であり、人々の畏怖の念は、階層制を強化し、リーダーという神に国民を結びつけるために利用されている 374
と、
畏怖の念の存在
それが、階層性に結びついている状態だと指摘します。
この本によれば、集団を大切にすることとファシズムの間には、
畏怖の念
階層性
があると考えられます。
『学び合い』には、畏怖の念もなければ、階層性もありません。
ただ、ケンシもやってしまいがちなのですが、しばしば『学び合い』は
みんなで頑張る
(集団を志向する)
授業と捉えられがちです。
しかし、実際は集団、みんなで頑張ろうというよりは、
1人も見捨てない
って個人的に得じゃね?
と考える個人の動きで成り立つ授業なのかなと考えています。
(それが集団を志向しているように見えることも多いし、集団を志向しせてしまってるかもしれないのですが、、、)