セリフっぽいなぁと思う哲学者の名前はマイケルサン・デル!
こんにちは、ケンシです!
今日は倫理の『学び合い』が白熱する理由
について書きたいと思います。
ケンシは、今まで中学の社会、高校の地理、世界史、政治・経済、そして倫理で『学び合い』を実践してきましたが、最近初めて取り組んだ倫理が最も白熱しました。
(最も「納得」にこだわってくれました)
なぜ倫理の『学び合い』が白熱するのか。
それは、本質的な問いを組み込みやすいからではないかと考えます。
本質的な問いとは、
『理解をもたらすカリキュラム設計』(ウィギンズ・マクタイ 日本標準 2012 )のp131 132によると
1 私たちの人生を通して何度も起こる重要な問い
2 学問における核となる観念と探究
3 核となる内容を学習するのに何が必要かに言及するもの
4 特定の、かつ多様な学習者を最もよく参加させるであろう問い
の4つが含まれている問いであるそうです。
特に、1と4が難しいなと感じます。
最近、地理で
海の名は〜日本海呼称問題をどうすべきか〜
という課題を出しましたが、この課題は人生を通して何度も起こるような問いではありませんでしたし、知識や資料の読み取りが必要で、多様な学習者を参加させるような問いでもありませんでした。
これに対し、倫理で問うのは
人間とは何か
なぜ生きるのか
人生を通して何度も起こるような問いである可能性も高く、知識や資料の読み取りもするとより良いのですが、それら無しに感性でも答えられる。多様な学習者を参加させるような問いでもあります。
だからこそ、倫理の『学び合い』は、本質的な問いによる『学び合い』は白熱するのかなぁと感じました。
マイケル・サンデル目指して頑張ります。